2016/07/21

嗅ぎまわりながらうろつくことが犬の散歩

平和公園の噴水。
今日は曇りだったが、夕方ごろには晴れた。
最高気温は25度ぐらいまで上昇。
暑がりの犬にとって、25度はつらい温度だ。
リリーの散歩コースのひとつとなっている平和公園には、大きな噴水がある。
そのおかげで、噴水の回りはいくぶん涼しい。

だが、そこに辿り着くためには、熱せられたアスファルトの上を歩かなければならない。
リリーのお腹とアスファルトとの離れは、わずか30センチぐらい。
夕方になったとはいえ、道路は余熱でホカホカ状態。
リリーが公園で涼むためには、500メートルほどの距離を、ホカホカ熱を浴びながら歩かなければならない。

こういうのを「不条理」と言うのだろうか。
まさに、不条理。
「不条理とは高度の滑稽である。」と言った方がいらっしゃったが、はてどなただったか。
リリーでないことは確かだ。
リリーは必死なのだ。
そんな冗談を言っている余裕は、犬には無い。

時速7キロぐらいのスピードで、ドタドタと平和公園を目指すリリー。
そして到着。
そよ風の噴水とケヤキの木陰。
リリーは夕焼けに赤く染まりながら、噴水の回りを散歩する。
このリリーの毛を染めた赤は、一日の余韻である。
散歩とは、「何か」の余韻に浸ることなのだ。
と考えるのはヒトだけで、犬にはそんな余韻は無い。

その「何か」とは何なのか。
犬は、それを確認しなければならない。
犬にとっては、すべての存在は匂いなのだ。
匂わないものは、この世に存在しないもの。
それが、犬にとっての「条理」。
だから犬は、その「何か」を嗅ぎまわる。
犬にとって散歩とは、嗅ぎまわることなのさ。
リリーは、公園のいろいろな場所を嗅ぎまわりながら、そう主張している。

噴水を照らす夕陽。

夕焼けに赤く染まる犬。

犬の散歩に夕闇が落ちてくる。